こんなん出ました~
どこかで聞いたようなフレーズですが(笑)  観劇レポ、思い出したようなマンガ・アニメ、雑談その他いろいろです。「シャメとゴマのおばかな毎日」たまに更新中(笑)
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母が旅立ちました。
母が13日に、こちらの世界の役割を終え、次の世界の仕事のために旅立ちました。
突然のお別れでした。

先月の朝、くも膜下出血で倒れました。
父がすぐ気がついて、救急車で搬送、その日の夕方にカテーテルでの手術を行いました。
手術は成功しましたが、強い麻酔からさめるかどうか。。。

幸い麻酔からもさめ、順調に回復して、危険期間の2週間をクリアしました。
後遺症も特になく。。倒れた時にぶつけた左肩が上がらないくらい。
よくしゃべって、点滴の柱をもって歩いてトイレにいけるまでになっていました。
一般病棟に移って、退院の話も出ていましたが、3日後、2度目と3度目の出血があり、
脳死状態となりました。
最後に「大丈夫だから」といったら「うーん」と無意識に返事をしていたようです。
手を握っても反応はありませんでした。
ドクター順調に回復していただけにショックですといわれました。

はじめに倒れた時の状態では
「年齢と体力(かなり痩せていたので)がないので
元通りには戻らない可能性が高いです」といわれても
回復したのは今思えば奇跡でした。
そんな奇跡の16日間と、試練の8日間を残してくれました。

お別れを待つばかりの間が・・・辛くて・・・
病院からの電話は「お別れのとき」なのです。
電話を握り締めて寝る日々が続きました。
今まで生きてきたうちで一番辛い時期でした。

うちに帰ってきたときには不思議と「安心」しました。
葬儀を終えて、小さくはなりましたがいつも家にいます。
私の心にいます。
時々泣きたくなりますが、またいつか、
次の世界で会えることを楽しみにしています。

脳死になった時に、ドクターから「臓器提供」の話がありました。
私は父の承諾もなしに「お願いします」と言いました。
幸い父も、一緒にいたおば(母の妹)も承諾してくれてましたが、腎臓は小さすぎて役に立たないとのことで、角膜だけ提供しました。

お別れを待つ期間のうちに、アイバンクの人から「書類を渡したいので」と連絡が、少し話をしました。
移植して初めて「光」を感じた人や、その担当の人のお父様が移植で見えるようになった話を聞いて、少し気持ちがおちつきました。
母は誰かの役に立つかもしれない・・・

後悔することばかり・・ああすればよかった、こうしておけばよかった。。
私があんなことしたから?人にいじわるしたから???
いろんなことが頭をめぐっていましたが・・・
後悔しはじめると、これがクリアしたとしてもまた別のことで後悔する。
後悔はしないことにしました。

辛い時期に救われたのは、レポをくれた皆さんと、的確な励ましの言葉を下さったみなさん。
ありがとうございました。
はるパパのブログ、
「篤姫」での篤姫と小松帯刀の会話。
勘弁して欲しかったのは。。。
「まだ希望があるから」とか「でも、でも、うちは治ったから」とか泣かれたこと・・・
希望もなく、治る見込みもなかったのです。

くも膜下出血はいつなるかわからなくて・・・原因もよくわからない。
ということにしておいてください。
母の姉が同じ病気で亡くなっているので「いつまた出血するか」という不安を抱えて生きているより、何も知らずに行ったことは良かったカナと思います。
かねがね、「苦しまずに死にたい」といっていましたので、そのとおりになりました。
遺影も「これを使ってね」と以前からいっていたものにしました。
最後は「これ好きなんやわ」といっていた着物を着せました。
「死んだら、おばあちゃん(母の母)と一緒に・・」といっていたので
分骨しました。

母は、若さと(笑)元気が自慢でした。
弱った姿を見せたくなかったと思います。
そして私達に「世話をかけずに」逝きました。
お見舞いにも「誰にも会いたくない」といっていました。
会いたい姪たちには会えて喜んでいました。

試練の8日間があまりに辛くて、心の準備をさせてくれたのだと思います。
私は今はかなり落ち着いた気分でいられます。

誰でも通る道です
誰にでも平等に「死」はやってきます。
命には3つの約束があるそうです。
たった一つである、限りがある、いつ奪われても文句は言えない。

お寺さんの話では、一人で行くわけではなく、先に行った者がはすの花の場所を空けて待っているそうです。
そして若くして行こうが、年老いていこうが、それがその人の寿命だそうです。
はるパパのブログによると、あちらは抜けるような青い空なんだそうです。
洗濯が好き・・というより良く乾くようにとにこだわっていた母は
次の世界で、先に行った祖母やおば達から
「洗濯物がたまっているから、やっとくれ」「布団干しておくれ」
と言われているのではないかなと思います。

今は毎日のことで追われています。
父もかなり涙もろくなり、人と話すと泣き声になっています。
仕事も忙しくなりますし、また「時」が優しくなだめてくれるのでは・・・と思います。
父も私も母には頼りっきりで、何がなにやらわからないことが多いです。
なれない家事に毎日追われています。
あの地獄のような日々があったので、
私は今は元気です!

これからまた寂しくなる時がありますが・・
母の前では不安にさせるので絶対に泣かないと決めていました。
父の前でもできるだけ泣かないようにしていました。
ネットやテレビを見ている時間はいつも一人でしたので落ち着いていますが
ふと、お風呂場で考えすぎて泣いています。
困ったことは母に聞いています。
脳死状態のときは特に会話していました。
母はその間に知り合いのところにあいさつにも行っていたようです(笑)
不思議な出来事があります。
人の寿命は生まれた時に決っているそうです。

「13日」という日は・・私が所属していた劇団の公演日です。
衣装作りを文句を言いながらも手伝ってくれていました。
近くでの公演は見に来てくれました。
何だかんだと応援していてくれたんだなと思いました。

私も、前を見て、時々立ち止まってもできたら後ろは振り返らず、
許された命を生きて行こうと思います。

コメントをいただいてもレスはしませんのでご了承ください。
また母について・・こちらのブログに書くかもしれません。
私の気持ちの整理のために・・・・

「おかあさん、また会おうね!!」
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